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自然とどう向き合うのか?<防災の日>99歳「関東」「阪神」の経験語る
毎日新聞 9月1日(日)7時37分配信
「震災は多くの命を奪うだけでなく、生き延びた人の人生も変えてしまう」。小学4年の時、関東大震災で東京・浅草の自宅が全焼し、2年間の避難生活を強いられた大阪市東成区の村川信勝さん(99)は、自らの体験を振り返る。地震だけでなく、さまざまな自然災害が相次ぐ日本。自らの体験と重ね、「決して慢心してはいけない」と力を込める。1日は防災の日。関東大震災から90年を迎える。【吉田卓矢】
1923年9月1日の正午前、激しい揺れが襲った。9歳だった村川さんは、父母と3人で自宅の柱にしがみついた。木造平屋の自宅は倒壊を免れたが、近所で火の手が上がり、着の身着のまま家族で逃げた。
「全員、隅田川を渡った先の陸軍被服廠(しょう)跡地に避難している」と聞いたが、橋に荷車を押す人々が殺到し、向かう先を変えた。後になって、跡地に避難した人は、みんな焼け死んだと聞いた。「備えもなく、うわさを頼りに行動し、大きな被害になったのでは」と振り返る。
避難途中、焼け焦げた建物や都電、シャッターに挟まれたままの遺体も見た。震災から2日ほど食べ物を口にできなかった。飲み水はなく、近くの寺の池の水を飲んだ。
約1週間後、大阪の父の友人宅に移った。1年ほど居候したが、「子どもながら、肩身が狭かった」。
小学6年の1学期まで京都で過ごし、東京に戻ったが、比較的裕福だった生活は一変した。古物商だった父は「大学まで行かせてやる。しっかり勉強しろ」と話していたが、震災で家財道具も職も失った。小学校卒業後、大阪に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出された。
「もっと勉強したかった」。貧しさで進学できなかった友人と2人で悔し涙を流した。
29歳で太平洋戦争に従軍。戦後は、紳士服の縫製工場を営むなど、85歳まで働いた。大学で学ぶ夢は90歳を過ぎてから、桃山学院大の社会人聴講生という形で果たした。
95年1月17日の阪神大震災。当時住んでいた大阪市城東区で揺れに見舞われた。あちこちで火の手が上がる神戸の街の様子は、関東大震災と重なった。関東大震災から70年以上たっていたが、「科学が発達しても、大きな被害は免れられないのか」と無力さが募った。一方で、大勢のボランティアが駆け付けたことに希望を抱いた。
一昨年の東日本大震災で、今も29万人に上る避難者は、かつての自分と重なる。「避難者が人生を立て直すのは容易でない。一人一人が手をさしのべなければ」
村川さんは教訓を語る。「自然の恐ろしさを知り、どうすれば身を守り、被害を最小限にできるか、私たちは学び続けないといけない」
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